京都ライカブティック(Kyoto Leica Boutique) - photographer 第一回「やっぱりライカはフルサイズ」
ライカに始まりライカに終わる

市川泰憲(写真技術研究家、日本カメラ博物館)

  市川 泰憲(いちかわ やすのり)
1947年東京生まれ。中学・高校・大学と写真部に所属。1970年東海大学工学部光学工学科卒業。
同年写真工業出版社入社、月刊「写真工業」編集長を経て、2009年より日本カメラ博物館に勤務しながら幅広い写真活動を続ける。日本写真協会、日本写真芸術学会、日本写真学会会員、元東京工芸大学芸術学部写真学科非常勤講師

■ブログ「写真にこだわる」開設しました
http://d.hatena.ne.jp/ilovephoto/

ライカに始まりライカに終わるとは、カメラの趣向の変化をいっているのではありません。カメラとして、機械として、長く使えるものとして存在してきたのがライカです。僕の手元にある義父からもらったレンズは、75年も前に製造されたもので、そんなに古いものが、いまでも通用するのがレンジファインダーライカのシステムなのです。35mmカメラというジャンルを確立したのがライカなら、これからも35mmカメラとして存在していくのもライカだと思うのです。ライカをいかに楽しむか、私なりに綴ってみます。
古い交換レンズが使えるのがレンジファインダーライカの魅力です。最新フルサイズM9と手持ち交換レンズの相性を探って見ました。
ライカとしては初の中判カメラが登場しました。その使い勝手、実力のほどを発売前に緊急レポート。
ライカから、大型撮像素子であるAPS-C判のCMOSを搭載した、コンパクトカメラが発売されました。いままでになく“最もライカらしいコンパクトカメラ”で、「いつも首から提げて持ち歩きたい」、それが第一印象です。
現在発売されている写真撮影用レンズで最も明るいのはM型ライカ用の「ノクチルックスM50mmF0.95ASPH.」です。2008年のフォトキナで発表され、翌春から発売されましたが、供給が潤沢でなくなかなか手にすることができなかったのですが、やっと使うことができました。
「ライカM9」の登場で、すっかり影が薄くなってしまった「ライカM8」と「ライカM8.2」。今さらというわけではありませんが、手元にM8がある方も多いのではないでしょうか。そんな方々に向けて、M8ならではの効用を改めて考えてみました。
HEKTOR 2.8cmF6.3、SUMMARON 2.8cmF5.6、SUMMICRON-M 28mmF2 ASPH.と3本のライカ純正レンズがあります。ヘクトールは1935年、ズマロンは1955年、ズミクロンは2000年の登場で、2006年にはデジタル対応で6bitコード付きとなった最新版です。それぞれをM9ボディとの相性ということで、描写特性を探ってみました。
ライカカメラ社オーナーのDr.カウフマン氏が、去る2010年5月30日、日本カメラ財団にて「ライカ -思い出の未来-」と題して講演を行いました。話の内容は、ライカの歴史からこれからのライカの在り方までと、多岐にわたっていましたが、なかなか興味あるものでした。
ライカカメラ社オーナーのDr.カウフマン氏は、2010年5月30日に来日されたときの講演会で、ライカ用の軟調描写レンズである「タンバール」を復活させて欲しいとの愛好家の要望に対し、デジタルではタンバールの描写は難しいから作らないと言い切りました。さて、それはどういうことを意味するのでしょうか、手元にあるライカ用の軟調描写レンズとライカM9を使って、その実際を探ってみました。
前回は「ライカM9で軟調描写を楽しむ」というテーマで、手元にあるヘクトール73mmF1.9の描写特性を紹介しました。ところがもっと身近に「medeiajoy-softfocus」がライカ用に発売されています。ここでは「メディアジョイ・ソフトフォーカスレンズ」でライカM9での軟調描写を試してみました。
ライカの故郷であるドイツ・ウェッツラーの町には、かつてのエルンスト・ライツ社の旧社屋があり、旧市街にはライカ生みの親であるオスカー・バルナックが100年ほど前に試作機「Ur.ライカ」で撮影した光景が今もそのまま残る歴史ある町です。近くには、エルンスト・ライツ、オスカーバルナック、マックス・ベレークらのお墓もあります。そんなライカの故郷に加え、現在のライカカメラ社のあるゾルムスを訪ねてみました。
さる2010年9月21日から開かれたドイツ・フォトキナにて、ライカカメラ社は「ライカM9チタン」を発表しました。ネーミングのとおり、外装がチタンなのです。この12月に日本国内でも発売開始ですが、そのこだわりの部分の概要をお伝えしましょう。
ライカの交換レンズでズマリットといえば、1949年に発売された“ズマリット50mmF1.5”が良く知られています。もともとライカ用のレンズでは、ズミルックス、ズミクロン、エルマーなどとレンズの口径によって名称がシリーズ化されていましたが、このズマリットだけは単独レンズの名称でした。ところが最近は、M型用の一部と、S2用の交換レンズにズマリット名を冠されたものが登場してきました。ここでは2007年に発売された、ズマリットM35mmF2.5、M50mmF2.5、M75mmF2.5、M90mmF2.5を使ってみた印象を紹介しましょう。
同じズマール5cmF2で、発売当時のままのものと、最近レストアされ単層コーティングされたものがある。その写りの違いはいかがなものだろうか、簡単に比較してみました。
いまミラーレスカメラにマウントアダプターを装着し、ライカレンズをつけて遊ぶのが流行っています。ミラーレス最初のモデルは2008年に発売されたマイクロフォーサーズ規格の「パナソニックDMC-G1」でした。その後、撮像素子の大きなAPS-C判の「ソニーNEX-3/NEX-5」が2010年に、「リコーGXR+A12Mount」が2011年に、「フジフイルムX-Pro1」が2012年に発売されました。ここでは、最新の「ソニーNEX-7」とリコー、フジフイルムのミラーレス機に同じライカマウントレンズをつけた実写結果を紹介しましょう。(2012.07)
ライカカメラ社が「ライカMモノクローム」というモノクロ専用ライカを発売しました。撮像素子はM9と同じ5212×3472ピクセルのCCDですが、RGBの色分解フィルターがなく、その分だけ高画質なのを特徴としています。では、どのくらいいいのでしょうか。M9とMモノクロームを比較してみました。
日本はまぎれもないカメラ王国だ。かつてカメラ生産は海外の国が主流だった。まず写真発祥の国フランスであり、イギリス、アメリカ、ドイツなどを経て、1962年に生産数・金額とも日本がドイツを抜いてから今日までトップの座を他国に譲っていない。昨今、さまざまな工業製品が他国に首位を譲っていくなかで、日本のモノづくり最後の砦といわれるのはカメラ産業だ。しかし長い歴史のなかでは、他の産業もそうであっようにお手本は海外だった。その原点ともいえるライカといくつかのコピーライカを紹介する。
2012年9月のドイツ“フォトキナ”で発表されたライカS2のニューモデル「ライカS」のβ機を使う機会がありましたので、簡単にその試用結果を報告しましょう。また、その時に「ライカMモノクローム」とアポ・ズミクロン50mmF2 ASPH.も提供されましたので、モデル撮影にチャレンジしてみました。
同じ場所をずうーっと撮り続けることを定点観測といいます。その場所の経時変化追い続けることにより、時代の移り変わりがわかったりして、写真的な価値がでてくるのです。僕は、いままで同じ場所からカメラとレンズを変えて、わずかな期間ですが、同じ建物を撮影してきました。デジタルカメラになってから始めたことですが、その同じカットの中からベストのものを選択して、A3ノビにプリントしてカメラの画質を判断してきましたが、それぞれのプリントを並べてみると、カメラの写り具合や特質が見えてくるのです。最小は「ペンタックスQ」から、最新は35mm判フルサイズの「ライカM」と35mm判APS-Cの「EOS KissX7」まで、いがいとおもしろい結果がでました。
フルサイズ3,630万の高画素タイプ一眼レフであるニコンD800が発売されたのが2012年3月、さらによりシャープな画像が得られるようにと光学ローパスフィルター効果をキャンセルしたニコンD800Eが発売されたのは同年4月のことでした。ニコンD800は“2012年カメラグランプリ「大賞」”、ニコンD800Eは“カメラグランプリ2013 あなたが選ぶベストカメラ賞”を受賞するなど話題を呼びました。そこに2013年11月にはやはりフルサイズ3,640万画素の「ソニーα7R」が発売されたのです。どうやら同等の撮像素子を使っていることは間違いありませんが、ニコンは一眼レフ、ソニーはミラーレスというわけです。何か違いはあるのでしょうか、それぞれの写り具合が大いに気になります。以下まったくの私見ですが、比較撮影した結果を披露しましょう。
第十八回のシリーズで「異種全面対決 ペンタックスQからライカMまで」と題して、2013年前半までの各社の気になる機種を画質比較しました。その後2013年の後半に気になる機種として「ペンタックスK-3」、「ソニーα7R」、「ニコンDf」の3機種が登場しましたので使用結果を紹介しましょう。