京都ライカブティック(Kyoto Leica Boutique) - photographer 第九回「メディアジョイ・ソフトフォーカスレンズ」
ライカに始まりライカに終わる

市川泰憲(写真技術研究家、日本カメラ博物館)

  市川 泰憲(いちかわ やすのり)
1947年東京生まれ。中学・高校・大学と写真部に所属。1970年東海大学工学部光学工学科卒業。
同年写真工業出版社入社、月刊「写真工業」編集長を経て、2009年より日本カメラ博物館に勤務しながら幅広い写真活動を続ける。日本写真協会、日本写真芸術学会、日本写真学会会員、元東京工芸大学芸術学部写真学科非常勤講師

■ブログ「写真にこだわる」開設しました
http://d.hatena.ne.jp/ilovephoto/

第十三回「コーティングありとなしのズマール5cmF2」
手元に2本のライツ・ズマール5cmF2がある【写真1】。1本は自分の、もう1本は友人であるノンライツRFクラブ代表大澤さんの物だ。もともと僕が撮影に古いズマール5cmF2で画作りをと考えていたときに、その場に居合わせた大澤さんも同じズマールを持っていて、ぜひ撮り比べて見てください、とのことなのでお預かりした。まずは手始めにと、その場で2本をほぼ同じ条件で撮影してみると、びっくりした。僕所有のは、みごと画面全体にフレアがかかっている。片や大澤さんのはすっきりと普通のレンズなのだ。さてその違いはとなるわけだが、聞くところによると、大澤さんのは新宿の山崎光学で、再研磨し単層膜のレンズコーティングを施したレストア品だということ。それぞれのレンズナンバーを調べてみると、僕のがNo.299499なので1936年製、大澤さんのはNo.406952なので1937年製ということになった。その違いはわずか1年だが、その間で10万以上もナンバーに開きがあるわけだから、ライツにとっては黄金の時代だったのだろう。ちなみに1936年と1937年の時代というとボディはIIIaの時代であった。

写真1
左はライカM9に単層コーティングされたズマール5cmF2、右はオリジナルズマール5cmF2が付いていたライカIIIaである。ボディナンバーは193073、1936年の製造で、いまから75年前に製造されたものである。レンズともども義父から譲り受けたものだが、ボディと75年も一緒にいたのだろう。




  一般的に、写真用のレンズにコーティングが施されるようになったのは戦後のことであり、その点において2本のズマール5cmF2はノンコートの時代のレンズであるといえるのだが、改めてこの時期にコーティングをし直したものはこんなにもコーティングの効果が顕著なのかと驚いた。
  それでは、もう1本の僕のほうは、最初からこんな状態だったのかというと少し違うようだ。【写真2】にガラス第1面のクローズアップを示したが、必要以上にテカテカ、つまり反射しているのがわかる。これはたぶん経時変化による、ガラス表面の劣化であると思われるのだ。光学的な専門用語ではヤケと呼ばれているようだが、空気中の炭酸ガスや水分などの影響を受けて、ガラス表面が白くなったり、干渉膜が発生したりということになる。ズマール5cmF2の第1面ガラスは、そのような現象を起こしやすく軟らかいというのが通説のようで、そのために大澤さんは山崎さんの手になるチューンナップを施したようだ。

写真2
左は単層コーティングされたズマール5cmF2、右はオリジナルズマール5cmF2である。レンズ第1面から奥に行くにしたがってまるで銀鏡のように光って見えるが、これは見る角度によっても大きく異なる。しかしこれを見る限り、コーティングされたズマールのほうが良く写りそうな気がする。