第二ゾーン 古代国家の源流

■ 百舌鳥古墳群 ■

 大王級と呼べる突出した古墳が墓域を大和盆地から河内・和泉に変えた。それは5世紀代にピークを迎えることから、中国『宋書』に記載される倭の五王と重なる。特に百舌鳥古墳群は墳丘長日本第1位の仁徳陵古墳をはじめ、第3・8位の墳丘規模にランクされる古墳が含まれることから、その位置はすこぶる重要である。
 大阪府堺市にある百舌鳥古墳群は日本第1位の規模を誇る仁徳陵古墳を含む前方後円墳を中心とした大型古墳群である。
 仁徳・履中・反正陵と伝える大王墓の築造を目的に中央政権中枢部が入り込み、形成されたのが百舌鳥古墳群であった。群内第1位墳丘長486mの仁徳陵(大仙陵)、第2位の360mの履中陵の古墳が海岸沿い南北に並ぶのに対して、第3位の290mのニサンザイ古墳は大きく内陸側に築造される。群内最後の前方後円墳、平井塚古墳はこれに隣接、6世紀第2四半期の埴輪を出す。
 百舌鳥古墳群の古墳は100基をこえただろうが、現在は46基。墳丘長168mの百舌鳥大塚山古墳墳丘部の破壊をはじめ、半数以上は第2次大戦後すぐの開発で犠牲になった。開発の歯止めになったのは、1955年、群内のイタスケ古墳の濠に土建業者が墳丘の土砂採りのために橋を架けたときのことである。現在、この古墳は保護され史跡となる。
 そうした状況下で内部が知りえたのは、1912年仁徳陵古墳東側に隣接する径35mの円墳である塚迴古墳の鏡、刀剣、玉類。
 百舌鳥大塚山古墳は破壊が続く中で1950年、後円部4基、前方部4基の粘土槨を確認。三角板革綴襟付人と短甲の他、鏡、刀剣、玉類、農工具などが出土した。
 1913・47・52年、履中陵古墳に北接する径50mの円墳、七観古墳では粘土槨と甲冑、刀剣、農工具、馬具があり、初期の馬裝、短甲に取り付く金銅製帯金具が注目される。
 1949年、墳丘長186mの御廟山古墳に東接する径50mの円墳、カトンボ山古墳は粘土槨に鏡、鉄製品、滑石製の玉・模造品(子持勾玉5、勾玉729、臼玉2万の他、双孔円板、剣・斧・鎌・刀子形)。
 1972年、乳岡古墳で粘土被覆した和泉砂岩製の長持形石棺とその粘土の中から石製腕飾類が出土した。この中では塚迴、乳岡古墳が国史跡、後の3基が土砂採取の犠牲になった。
 仁徳陵古墳の状況については宝暦七年(1757)『全堺詳誌』に後円部頂上に「石ノ唐櫃」が伝えられ、明治五年(1872)に前方部竪穴式石室(長さ3.6〜3.9m、幅2.4m)、長持形石棺(蓋・長さ2.4〜2.7、幅1.45m、高さ1m)と金銅裝甲冑などの出土を確認しているが、その後の知見は少ない。

仁徳陵古墳

    所在地 大阪府堺市大仙町

   古墳規模 前方後円墳、全長850m、墳丘長486m、後円部径249m、高さ35m、
        前方部幅305m、高さ33m。

 出土遺物 須恵器大甕、埴輪(巫女、馬、水鳥、犬、家、円筒、朝顔)、刀剣、
        金銅装甲冑(小札鋲留眉庇付冑、右前胴開閉式横矧板鋲留短甲)、
        ガラス製壷・皿。ボストン美術館・伝仁徳陵、細線式獣帯鏡、
        単鳳環頭太刀、三環鈴、馬鐸。

 推定築造年代 5世紀中頃

 最寄り駅
        JR阪和線「三国ヶ丘」・「百舌鳥」、南海高野線「三国ヶ丘」西に歩いて5分。

 関連博物館など
        堺市立埋蔵文化財センター  TEL:0722-73-6101
          593 堺市稲葉1丁3142

        堺市立博物館  TEL:0722-45-6201
          590 堺市百舌鳥夕雲町2丁(大仙公園内)
          休館は月曜日、休日の翌日、各特別展前後
        大阪府立近つ飛鳥博物館  TEL:0721-93-8321
          585 大阪府南河内郡河南町大字東山299番地
          休館は月曜日(祝日、振替休日の場合は翌日)

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