第二ゾーン 古代国家の源流

■ 三角縁神獣鏡 ■

大阪府紫金山古墳の銅鏡群
 4世紀の古墳から、大量に出土する三角縁神獣鏡を邪馬台国の卑弥呼が中国魏から送られた「銅鏡百枚」にあてる説がある。
 この鏡は直径20cmをこえる大型品だが、全体に同じような大きさで、中国の神話に登場する神仙、霊獣を半浮き彫りにし、縁を断面三角形にしたもの。
 卑弥呼が使いを送った景初三年(239)や正始元年(240)の年号銘を刻む。現在、日本列島では古墳時代遺跡出土鏡3756面中、470面が三角縁神獣鏡であり、そのうち、同笵鏡(同じ鋳型からつくられた鏡)は現在、舶載、ホウ製を含め、96種類が確認される。
 小林行雄は京都府椿井大塚古墳の被葬者像を各地で出土する同笵鏡に分有関係があることから、その配布者であったとした。また、その背後に第三者が存在し、各地への恩賜の意味をもって、それらの関係が大きな政治的勢力に結びつけられ、そして、その鏡は中国魏から卑弥呼に贈られた銅鏡百枚に類似するとまでおよんだ。
 三角縁神獣鏡が中国で出土しないというのが森浩一、王仲殊などから出される反論根拠のおおかたである。王仲殊は中国呉の鏡工人の移動を指摘。
 1982年に小林は倭に贈るために特別に鋳造した特鋳説を出した。
 近藤喬一は鏡に新旧の型式差がある中で、景初三年、正始三年銘鏡が初現的なもので、鏡製作の契機となったとする。岡村秀典は邪馬台国と魏の交渉が景初三年、正始四年(243)、六年、八年、泰始二年(266)、度重なる交渉と合わせると鏡の型式変化がその度の継続的輸入を意味すると。また福永伸哉はともに出土する方格規矩鏡と合わせ、一部の三角縁神獸鏡は中国東北部周辺を製作地候補としてあげる。
 しかし、あまりに長期間の対外交渉では、岸本直文の説くような三角縁神獣鏡群製作のまとまりとその管理体制を保持することや、鏡を中国側に要求し続けられたかどうかは疑問である。
 椿井大塚山古墳を中心とした同笵鏡の分有関係から、保管と配布をその首長が直接的な役割をはたしたと小林はする。同笵鏡の分布の特徴と、今、細かく分けられる三角縁神獣鏡の型式はおおむね一致する。それは工人群の差か、段階的に入手をした結果か。
 現在の古墳築造年代観からすれば時間的な段階的配布(分布)を認めることができる。ただ、日本列島東方の初期古墳の成立、確認が遅れていることからすれば、鏡群の新たな分布拡大の可能性はまだある。

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